2011年7月31日日曜日

北名古屋市平和夏まつり

  北名古屋市はこれまでの夏まつりを平和を願う祭典として、2006年3月の合併を機に毎年「北名古屋市平和夏まつり」と銘打ち盛大に開催しています。今年は7月30、31日。
終戦記念日を前に、市長がまつりのテーマ「平和」について語り、東日本大震災の被災者の皆様に対してお見舞いを申し上げました。そのなかで命の大切さを、今私たちが平和に暮らせることへの感謝の思いを忘れずにと訴えました。「平和」への祈りを込めて色とりどりの風船に託し空へ。とてもきれいな光景でした。この写真でその一部分でも伝われば嬉しいです。今回は私も浴衣を着て議員親睦会で盆踊りに参加、やぐらに上がって炭坑節を踊りました。市民と行政が一体となって取り組み、協働し、楽しむとても魅力的な夏まつりになりました。

2011年7月17日日曜日

歩行者の視点、交通弱者の視点

   毎日暑い日が続きますが、皆さん大丈夫でしょうか?先日のニュースでは熱中症で病院に搬送された方が、既に昨年の5倍に達すると報道されていました。昨年の今頃は記憶が確かならば梅雨明けが遅く、今頃は梅雨の最中だったと思いますが、蒸し暑さは半端ではなく、熱帯夜が何日も続きました。日中の気温と最低気温の差がなく非常に寝苦しかったのを覚えています。今年は梅雨明けが早かったこともあり熱中症の患者さんも増えたのでしょうね。人が自分たちの都合のいいように変えていった環境がもたらす自然からの答えは厳しいものがあります。原子力も然り。もうこの辺りで本気になっていろんな面で向き合わなければと思います。
ところで先日もつぶやきましたが、歩行者の視点、交通弱者の視点で確認しなければ見えない危険があちこちに存在するということで、非常に反省させられたと述べました。ここは北名古屋市名鉄西春駅西口。エレベータの出入り口にあたるところで、車椅子の方、ベビーカーを押す方、小さなお子さん連れの方も利用されています。特に車椅子の方はここを乗用車が塞いでしまって、立ち往生させられることが頻繁にあって事故の心配もありました。早速、担当の職員の方が対応くださり写真のように、駅利用者の送迎車が出口正面に駐停車できないように樹脂製のポールを設置してくださいました。相談者の方も本当に喜んでいました。逆にこうしたことに不便になった、邪魔だと言われる方もいるかもしれませんが、立場を変えて車を降りてその目で見て考えて欲しいなと思います。

2011年7月1日金曜日

東日本大震災緊急消防援助隊活動報告を受ける

6月28日は消防本部において、東日本大震災における緊急消防援助隊活動報告を議員全員で受けました。
緊急消防援助隊とは1995年1月7日の阪神淡路大震災の教訓から、大規模災害において被災した都道府県内の消防力では対応が困難場合に国家的観点から人命救助活動等を効果的かつ迅速に実施しうるよう、全国の消防機関相互による援助体制を構築するため、1995年6月に創設された。
西春日井広域事務組合消防本部においては発災翌日12日の午前1時に要請を受けて、午前3時30分に東名高速道路上り新城パーキングエリアに集結。派遣先である、宮城県亘理郡亘理町、山元町へ出発した。派遣期間は3月12日から4月18日(延べ38日)派遣対数13隊(消火部隊1、後方支援部隊12)派遣人数59人。後方支援部隊は発災直後から出動部隊への補給活動、情報の収集活動、以後、主に人命検索活動を展開。
全国から28,620人。7,577部隊。愛知県から、2,365人。630部隊。救助者数は76名(死亡された方を除く)の方を救助した。
写真は鉄板の靴中敷です。現場にはがれきの中で倒壊した家屋の柱等から沢山の釘が飛び出していて活動中に踏んでしまう事故が多発。それを防ぐために隊員が手作りで加工されたそうです。このように隊員の皆さんも度重なる余震の中、危険と隣り合わせの正に命がけの活動をされてきました。そんな中、被災者の方からいただいたという手紙の紹介をされました。プロジェクターに映し出された隊員の救助の様子を描いた絵と感謝の思いを綴った手紙の文章に隊員は「自分は声に出して読むと泣いてしまうので皆さんで読んでください」と言われておりました、その思いは大切な命と命の交流として隊員の皆さんの心に深く刻まれたことでしょう。私もそれを読みあらためて災害のもたらした悲しみの大きさ、命の尊さを思うと涙を堪えることができませんでした。
本当に大変な状況の中、尊い使命に立ち活動されましたこと隊員の皆様には心から感謝申し上げます。